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佐藤英輔のライヴ三昧 Diary noteから引っ越し中


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R.I.P.スティーヴ・クロッパー(1941年10月21日〜2025年12月3日)

巨人(20081124日、2009714日、2009725日、2012511日、201765日、20181027日)が居住していたナッシュヴィルで、お亡くなりになった。享年、84


以下は、20176月に来日したとき取材し、CDジャーナル誌に書いた記事を少し構成しなおしたものだ。



スティーヴ・クロッパーについては、賢人というイメージをぼくは持っていた。というのも、10 代の頃からスタックス前身となるサテライト・レコードに出入りし、それこそ寝る間も惜しむかのようにスタジオに詰め、数々のスタックスの録音に関わり(彼はギターを弾くだけでなく、優れたエンジニアでもあった)、南部ソウルの総本山たるスタックス・サウンドの屋台骨を築いた立役者であるからだ。1960年代の彼の端正なルックスも、そういうイメージを増幅させよう。


ところが、あらあら。ザ・ブルース・ブラザースのライヴ開始前にブルーノート東京の楽屋でインタヴューに応えてくれた彼は、なんとも話し好きの、ざっくばらんなおじいさんだった。もう自分をプロモーションしようなんて気持ちはゼロで、思いつくまま彼は早口で南部なまりの言葉を連ねて行く。とうぜん話も飛ぶが、その様はミュージョシャンたちが一堂にスタジオに会し、せえので録音していた1960年代中期のスタックスのスタジオの様をすうっと透かし見させるところがあったかもしれない。ぼくは同じくスタックス叩き上げ(であり、ザ・MGズの同僚であった)の故ドナルドダックダン(ベース)やブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)にも取材したことがあるが、クロッパーが一番天然であると感じた。蛇足だが、一番綺麗な話し方をしたのは、ザ・MGズ中唯一の大学出であるジョーンズだった。


「(9歳から)メンフィスで育ったと言うこと以外は、俺がどこの出身だとか(ミズーリ州ドーラの生まれ)、どこに住んでいるとか(現在は、ナッシュヴィル在住)、というのは、あまり関係ないな。まあ、メンフィス育ちというのは重要で、それが(同地に本拠を置いた)スタックスのサウンドにつながっていくわけだな」


クロッパーは、ブッカー・T&ザ・MGズを1962年に組み、スタックスのハウス・バンドの役割を担うとともに、インストゥメンタルのバンドであったにも関わらず同社のレコーディング・アーティストとしても重要な位置を占め続けた。その1962年デビュー・シングル「グリーン・オニオン」が全米総合3位を獲得した彼らは、実はスタックスで一番アルバムをリリースしている存在だ。1960年代後期まで、社長のジム・スチュワートとザ・MGズの4人が同社のビッグ5という言い方もされた。そんな彼にとって、スタックス・サウンドとはどういうものだったのだろう。


「踊れる、いい音楽を作ったという意識だね。それぐらいしか言えることがない。目的を持って作っており、意識してダンス・ミュージックを作っていた。だから、踊れる音楽を作るためにシンガーたちを集めて、音楽を作らせたんだ。もちろん、バラード曲も作ったよ。オーティス・レディングとかジョニー・テイラー、サム・ムーアとか、皆んな両方をうまく作っていた。彼らはバラードも得意だったけど、踊れる音楽でキャリアを積んでいったと思うな。そして、それらは今でも踊れる音楽なんだ」


そして、彼はスタックス初期のことをこう振り返る。


「高校を出た頃はそのレコード店(スタックス前身のサテライト)で働いていた。俺はレコードを売っていたんだよ。そして、徐々にスタジオ・ワークをやるようになった。最初のレコーディング・セッションは1961年だったか、(ザ・MGズの前身となる)ザ・マーキーズというバンドで「ラスト・ナイト」という曲だった。ザ・マーキーズは俺のハイスクール・バンドだったんだ。そして、62年にブッカー・T&ザ・MGズで「グリーン・オニオン」を出したわけさ」


当時のスタックスは、スタジオにレコーディング関与者が一堂に会しヘッド・アレンジにて曲は録られていき、その方策は無骨で人間的なスタックス・ソウルの味に繋がったと指摘される。曲も同様にせえので作られたという話もあって、それゆえサポートをしていたクロッパーは「ノック・オン・ウッド」や「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」他、本当に沢山のスタックス・クラシックスの作者となり、印税もよく入っているはずだ。


「曲については、ウィルソン・ピケット、エディ・フロイド、ドン・コヴェイ、オーティス・レディングなどとはレコーディング・セッションの前、ホテルの一室で一緒に書いていたね。スタジオではバンドとアドリブを作ったり、いろいろ練った。前の晩に書かれた曲も数曲あるけど、一週間前とか、もっと前に書いて、スタジオに入る感じだったな」


そんなスタックスの転換期は、1967年。それまで同社の録音物を配給していたアトランティックが関係解消を申し出て、オーティス・レディング他それまでメンフィスで作ったプロダクツの全権利がアトランティックに持っていかれてしまう。寝耳に水のスタックスはガルフ&ウェスタンから資金を得ることで新たなスタートを切ったものの、すべての既発カタログを失った同社は再始動にあたり<アルバム27枚、シングル30枚>を一度にリリースし、同社の創造力をイケイケでアピールした。それ以降のカタログは、現在コンコードが所有している。


「あれについては、投資家の人達が何十億もの産業を即座に無駄にしたと思う。でも、スタックスは存続することができて、それは素晴らしいことだった。アトランティックが手を引いてからも、ザ・ステイプル・シンガーズらがヒットを出したし、良かったよな」


結局スタックスは1976年に倒産したが、1969年以降のザ・MGズの作品に彼は積極的に関わっておらず、強い言い方をすればスタックスと距離を置くようになった。それは、クロッパーが制作者として売れっ子になったことと無関係ではない。1971年からの10年弱、彼はプロデューサーとして大車輪した。カントリー・ロックのポコ、エキゾなソフト・ポップのホセ・フェリシアーノ、ジェフ・ベック・グループ、NYフュージョンの先駆的バンドのドリームス、ベイ・エリアのブルー・アイド・ソウル・バンドのコールド・ブラッド、ザ・フーのドラマーのキース・ムーン、在LAシンガー・ソングライターのネッド・ドヒニー、南部ロック・バンドのザ・ケイト・ブラザーズ、ベイエリア・ファンクのタワー・オブ・パワーなど、その顧客の興味深いこと。ソウルのある実直な音を求めるならクロッパーに依頼を、そんな共通認識が当時の業界にはあったのではないだろうか。


そんなクロッパーがプロデューサー活動から離れたのは、彼がジョン・ベルーシとダン・エイクロイドという人気コメディアンをフロントに立てたザ・ブルース・ブラザース・バンドの1978年結成に参画したことは大きかったろうか。TV番組派生の同プロジェクトは1980年と2000年に2本の映画も公開された(もちろん、クロッパーも出演している)ので、かなり時間を取られたのは自明の理であるし、何より彼がバンド好きであったからに他ならない。そして、同バンドはクロッパーをリーダーに現在も続いているわけだ。


「ザ・ブルース・ブラザースはホームに帰るという感じもあるのかもしれない。1979年(正確には、78年)だったかな? 最初に俺が日本に来たのが、リヴォン・ヘルム(のRCOオールスターズ)と一緒の時だったよね。それで2回ツアーに出て、その後に(メンバーが重なる)ザ・ブルース・ブラザースの活動に突入したんだ」


スタックス発『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ〜』以降、クロッパーはMCAから1980年と82年にゲスト・シンガーを擁するAOR志向のアルバムを発表。それ以降、2011年に出した『Dedicated:A Salute To The 5 Royales(429)まで、彼は単独のリーダー作を出さなかった。その近作は、1950年代から60年代半ばにかけて活動したR&Bグループのザ・5ロイヤルズへの賛歌盤の形をとり、B.B.キングやスティーヴ・ウィンウッド、ルシンダ・ウィリアムス他が参加している。


「あれは、いいアルバムだよ。これに関わっている人達に、2030年後にこのレコードはコレクターズ・アイテムのトップに位置するのではないかと、言っているんだ。実のところ、あのアルバムはそこでギターを弾いていたローマン・ポーリングというギタリストに捧げた。彼はストラップをものすごく下の方に下げて、ギターを演奏する人だった」


同作ジャケットになった彼の写真は、「1961年に、アトランティック・シティのロイヤル・ピーコック・ラウンジで撮られたもの」だそう。なるほど、その写真のクロッパーも低くギターを構えている。


もし、ギタリストになっていなかったら? そんな問いに、クロッパーは「おそらく、農業に従事していたろう。鶏に餌をやったり、卵を拾い集めていたろうね。若い頃、メンフィスでずっとやっていたんだよ。14歳ぐらいで曲を作りはじめたが、16歳ぐらいになるまで演奏活動はしていなかったんだ」。そんな彼は「俺はバンドのメンバーでいたいだけ。自分のソロ作品とかは、どうでもいい。だから、ザ・ブルース・ブラザーズのバンドで俺は演奏しているんだ。この惑星で、一番のバンドだからね」、ともコメントした。


▶過去の、スティーヴ・クロッパー
https://eisukesato.exblog.jp/31246867/
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  ダック・ダンの訃報/インタヴューも
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by eisukesato | 2025-12-04 00:00 | 音楽 | Comments(0)