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佐藤英輔のライヴ三昧 Diary noteから引っ越し中


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ここのところの、訃報。

◻️アルリンド・クルス(1958914日〜202588日)

 秀でたリオ生まれの現代サンバ歌手でカヴァキーニョやバンジョーも弾き、曲作りの才も持っていたアルリンド・クルスがリオデジャネイロの病院で多臓器不全のため亡くなった。ぼくにパゴージという言葉を教えてくれたグループであるフンド・ヂ・キンタルに70年代後期に途中から参加し実力を発揮し、1992年に独立。以後、リオの形而上を携える堂々の活動をしてきた。とくにしっとりした仕上がりの『Sambista Perfeito』(Deck2007年)はたっぷりしているのに哀愁にも満ちた彼の歌声が存分に活かされた佳作で、“整える”一作としてよく聞いたな。ラティーナ誌の年間ベスト10にも入れたっけ? サウダージ感覚について問われたときに、コレを推奨したりもした。2017年に脳卒中で倒れ、障害が残っていた。


◻️ボビー・ウィットロック(1948318日〜2025810日)

 エリック・クラプトンと一緒に組んだデレク&ザ・ドミノズで、雄々しい歌声や好作曲能力を知らせることでソロ・キャリアを切り開いたシンガー/キーボーディスト/ギター奏者であるボビー・ウィットロックはテキサス州の自宅で死去した。


 テネシー州メンフィス生まれ。そして、同地スタックスのスタジオ・ミュージシャンが出発点。ここから始まり、クラプトンもメンバーであったことがあるディレイニー&ボニー&フレンズに参画。また、クラプトンとともにジョージ・ハリソンの『オール・シングス・マスト・パス』(アップル、1970年)にレコーディング参加した〜そのころ、彼はサリー州のクラプトンの自宅に住んだことも。ウィットロックはパティ・ボイドの妹と交際していたという〜後に、短命バンドではあったがデレク&ザ・ドミノズのメンバーとして印象的な姿を見せた。同バンド解散後、1972年から75年にかけてダンヒルとキャプリコーンから4作の、アーシーでソウルフルなリーダー作を発表。だが、多大な話題を呼ばないことも関係してか、彼はミシシッピ州の農場で暮らしを選び、表舞台から去った。

 彼がまた大々的に音楽活動をしだすのは新世紀に入ろうかとするころで、1999年に久しぶりにリーダー作をリリース。その後はパートナーのココ・カーメルとアルバムを出したり、ライヴをすることが多かった。オースティンに住んだ彼は闘病していたようだが、死因は公になっていない。その朗々暑苦しい歌声にはちょいトゥ・マッチと思わずにはいられなかったが、米国的ロッキン・ソウルの一つのあり方を示した才人であったと思う。


◻️シーラ・ジョーダン(19281118日〜2025811日)

 我が道を行くクール系ジャズ・シンガーであったシーラ・ジョーダン(201397日)は住んでいるNYのアパートメントで逝去した。旧姓はドウソン。享年、96


デトロイト生まれ。一時はペンシルヴァニア州の炭鉱町で最貧困の生活を経験したあとデトロイトに戻り、10代からシンガー/ピアニストとして活動を始め、チャーリー・パーカーともやりとりを持った。1950年代頭にはNYに活動の場を移し、翌年にはパーカーのもとにいたピアニストのデューク・ジョーダンと結婚したが、10年後の1962年に離婚。間が活かされたデビュー作『ポートレイト・オブ・シーラ・ジョーダン』はブルーノートから63年にリリース。それはアルフレッド・ライオンが仕切ったオリジナル・ブルーノート最初にして唯一のシンガーのリーダー作だった。スティーヴ・スワロウのベース演奏が目立つが、ジョーダンは当初ベース奏者とのデュオ盤にすることを望んだが、それはライオンに却下された。


 静謐さの奥から研ぎ澄まされた感性が浮き上がる『ポートレイト・オブ・シーラ・ジョーダン』は高い評価を得たものの、彼女が次作を出したのは10年以上時間が空いてからだった。それはデューク・ジョーダンとの間に授かった娘を育てることを優先したため(1987年まで、彼女は他の職に就いていたと言われる)で、非凡なインプロヴァイザーであることをスキャットで伝える2作目『コンファメイション』(1975年)はW伊藤制作による日本のイースト・ウィンド発だった。日本のレコード産業の黄金期の幕開けを伝えもする好作だと思う。

 

 それ以降、ジョーダンはスティープル・チェイス(ダブル・ベースとのデュオ作)、ECM、ブラック・ホウク、ミューズ他からコンスタントにアルバムをリリース。当然、ラズウェル・ラッドやカーラ・ブレイ他、左側の表現域にいるミュージシャンとの付き合いもあり。そういう意味では、穏健と冒険の間を澄んだ自然体スタンスで行き来した人物という所感も得る。1970年後期から四半世紀のあいだニューヨーク市立大学で教鞭もとり、2014年には他者による伝記も出版された。


▶️過去の、シーラ・ジョーダン

https://eisukesato.exblog.jp/32241920/


<そして、スポーツのほうでは>

 元サッカー選手の、釜本邦茂(1944415日〜2025810日)がお亡くなりなった。今もフォワードとしての資質にかけては日本No.1かな。とにかく、メキシコ五輪得点王は素晴らしすぎる。それがなかったら、ぼくはサッカーにそんなに興味を持たず、中学校に入った際に意気込んでサッカー部には入らなかったかもしれない。当時、ぼくにとっての日本のサッカー・チームは彼(とネルソン吉村)が所属していたヤンマー・ディーゼルが一番だった。そんな彼は当然、海外のクラブからの誘いもあったろうが、残念ながら外に出ることはなかった。それについてチキンと言う人もいるが、そのころ内臓系の病気をしたりして彼にとって“ロング・タイム”であったことは了解できる。だが、その後にドイツに渡りばっちし活躍したパイオニア選手である奥寺康彦のことは尊敬しちゃうけど。


 釜本は名誉欲はあった人だろうが、自民党の参議員の議員を1期務めた(もちろん、森派でした)のは格好悪かった。議員時代はどんなことをしたのかChatGPTに聞いてみたら、返答は薄い。それを見て、「今の答えを受けると、自民党のタレント議員として担がれ、重要なことはなんらせずに一期で議員を辞めたトホホな人物と取れるようにも思いますが」と、返してみると……。AI 曰く、<確かに、数字だけを見ればそういう印象を持たれる余地はあります。釜本邦茂さんは「議員立法ゼロ」「質問主意書ゼロ」という記録からすると、典型的な“スポーツ界からの著名人候補”として自民党が比例で擁立した「タレント議員枠」に分類されやすいですし、6年で議員を辞めたこともその印象を補強します。ただ、背景を少し整理すると、もう少し違った見え方もできます>と前置きした上で、綺麗ごとな答えをいろいろ返してきた。とにかく、ぼくが今もサッカーに興味を持ち続けているきっかけはあなたとジョージ・ベストとロッド・スチューワートが作った。感謝、大アリだ。中学校3年になるときに転校したら、新しい学校にはサッカー部がなく、ぼくは本当に悲しかった。あ、それでよけいにロックに入れ込んだ。転校する前の中学校は、1年のときに県大会で優勝したな。

 ところで、元日本サッカー協会(JFA)会長の田島幸三はJOC会長に無選挙でなれるはずが、それを心良く思わない人たちにより選挙となり、そしたら軽く負けた〜https://eisukesato.exblog.jp/34596742/を参照のこと〜。実は国立競技場はサブトラック施設がないために陸上の大会には使えないということもあり、オリンピック終了後はサッカー需要のことを考え、トラックを取り払い球技場に改装されることになっていたと聞く。だが、川本”悪代官”三郎の庇護によりJFAの独裁者となった田島は急にトラック付きでもいいじゃないかと言い出し、それが既定路線のようになってしまった。それ、JOC会長になれることと引き換えに国立競技場のトラックを残すことを裏取引したんだろうと、ぼくは疑う。


by eisukesato | 2025-08-14 00:00 | 音楽 | Comments(0)