
佐藤英輔のライヴ三昧 Diary noteから引っ越し中
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2003年4月1日〜24日
24日(木)
ミュウ
デンマークの新進バンド。スカンジナビア圏のロック・バンドというと、1990年代中頃に脚光を浴びた心優しいポップ系バンドか、今いろいろと紹介されているタフなビート・バンドがすぐに思い浮かぶが、そのどちらにも属さないバンドと言えそう。原宿・アストロホールにて。それほど技量が長けているバンドとは思わぬが、いいかもネと、存在価値が認められるバンド。ヴォーカルがまず、全編ファルセット使いで印象的。でもって、それが自然。であるとともに、現代的なひっかかりを持つ曲を、ちゃっと作っているナというのが印象に残った。エモーショナルな雫をそれなりに感じました。
22日(火)
ファラオ・サンダース
ほう、驚いた。なんと以前にも、ブルーノート東京に出演しているとは。ファラオ・サンダースはあっち側に行こうとしていたジョン・コルトレーンにきっちり付き合ったことで何より知られ、その死後はいろいろとスピリチュアルにしてかっとんだ演奏を聞かせてきた人だ。一般的なブルーノートのイメージと合致する人ではないというか、そんなに集客力我あるとは思えない。そしたら、けっこうな入り。招待はどれぐらいいたのかな?
ピアノ・トリオを従えてのワン・ホーンの公演。全部で3曲。ウヒヒヒ。
普通のトリオを採用し、ブロウする。サイド・マンはみんな若い。それなりに芯はあったかもしれぬが、本当にフツー。このフォーマットなら、一般ジャズ・クラブ公演にも十分に耐えるものだナとも思う。で、御大は延々とソロを取る。1曲30分近くやっていた? サイド・マンにもちゃんとソロを回す。それで、そのときはピアノの横にいて、立派な髭を蓄えた彼は石像のように動かない。同行者は、アレステッド・ディヴェロップメントのおじいさん(ラザ・ドン)のようと言う。確かに!
3曲目はようやくアップ・テンポ。ピアノは突然マッコイ・タイナー(彼もコルトレーン・チルドレン)風になり、ドラムはエルヴィン・ジョーズ(ご存じコルトレーン電波系表現を支えた、蛸手足調ドラムの偉人)ふうに。ようはコルトレーン風となる。でも、ベースは地味でジミー・ギャリソン(同様に、コルトレーン・バンドの名手)にはならず。というのはともかく、この撥ね曲になったら突然、おじいさんは手拍子を取ったり、いろいろポーズを取ってみたり、ヴォーカルを取ったり。こういうのをもっと聞きたかった。この曲だけオーディエンス側の反応も良い。
他の日はどうだったんだろ?
18日(金)
グラント・グリーンJr.
往年の名ジャズ・レコード会社であるブルーノートで一番厚遇されたのが、オルガン奏者のジミー・スミス(2001年1月31日)とギター奏者のグラント・グリーン(1931年~79年没)であるのは間違いない。両者とも教会と繋がりの太いファンキー・ジャズ系の奏者であり、ドイツ生まれのアルフレッド・ライオンが率いたブルーノートはそういうレーベルだったのだ。グラント・グリーンJr. はもちろんその有名ギタリストの息子さんであるが、彼の数年前に出た日本のインディから出たアルバムはお父さんの流儀をまんま引き継ぐソウル・ジャズを全然凝らずにやるものだった。でも、わりかし好印象で、ぼくは彼を見たいと思った。
虎の門・アートホールアフィニス。1曲目はもろにリー・モーガンの「サイドワインダー」のリズムで、ブールズのコード進行の曲をやる。話しはずれるが、「サイドワインダー」(ブルーノート発、63年同名作収録)をジャズ・ロックの走りとか、ロック・ビートを導入した曲なんて説明がかつてはなされていたが、それはないですね。R&B(チャック・ベリーのR&Rや、ロカビリーは含む)のビートと指摘するなら判るが。63年と言えば、ようやくザ・ビートルズやストーンズが出てきた年。絶対、当時の彼らの頭のなかには白人ロックはなかったはず、とぼくは思う。
1曲目をブルージィでもあるソウル・ジャズ路線をもろに決めてくれたので、やはり父親譲りの路線で行くのかと思いきや、2曲目はちょっとジョージ・ベンソンみたいなギター単音とヴォイスのユニゾンでテーマを聞かせるフュージョン曲だし、3曲目はジ・アイズレー・ブラザーズのカヴァー。と、まあ黒っぽいという共通項はあるが、いろいろと広がりを持たせたパフォーマンス指針をJr.は取る。MCを聞いてけっこう野太い声をしているなと思ったら、2部ではボビー・コールドウェルの大ヒット曲を歌う。また、アンコール最後の曲は「スーキー・スーキー」(本人はあまり音引きいれずに発音していたかな)。お父さんの一番有名な方の曲で、US3がカヴァーしたことで結構多くの人がそのテーマのメロディを知っているはずの曲。それをブーガルーのりを強調して演奏したが、なるほどキャッチーな曲ですね。
それにしても、上手いんだか、下手なんだかよく判らぬ人。いや、バックの人(キーボードとリズム隊)ともども、決してうまくはない。でも、来日ブルーズ・マンと同じで、コレでいいのだと思わすところもある。変なところ味があり、黒人っぽい。太っちょの彼、ピアスをしていたが、何才ぐらいなんだろう。それなりにいっているようでもあり。それから、フル・アコースティックのギターを手にする彼は左利きでした。
17日(木)
ダットサンズ
新宿・リキッドルーム。前座で、ズボンズ。おお、単独でここでやっているバンドなのに。パーカッションを入れた5人編成にて、さらりとこなす。
そして、ダットサンズ(アメリカ読みで、ダッツンズと言いたくなるが、本人たちはダットサンズと言ってましたね)。1月22日のショーケース・ライヴ以来の、来日ステージとなる。そのときより、ずっとエネルギッシュ。前の来日から本国ニュージーランドに帰らずに、アメリカとかをツアーしていたらしいが、それもプラスに働いているのかな。見せ方もより堂々としているし、ステージが広いというのはいいことなんだナとも思わせられた。終演後、少しメンバーと話したら、9月か10月にロンドンで新作用レコーディングに入るとのこと。元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズはプロデューサー候補であるそう。
16日(水)
マンドゥ・ディアオ
スウェーデンの吹っ切れたビート・バンド。ハイヴズにしろ、ディヴィジョン・オブ・ローラ・リーにしろ、あの北の寒い国は一気にこの手のバンドの宝庫になってるなあ。とともに、ザ・ストロークスでもザ・リヴァティーンズでもいいが、そういうつっぱり直情系バンドが今のロックのトレンドの一つになっているとも言えるかな。まあ小細工のない、こういうバンドに人気が集まるのは個人的には嬉しい。
ルックスも良さそうに見える5人組。思ったよりは下手、とくにドラムはもうちょっと頑張ってほしい。だが、やっぱり音楽性は大マル。けっこう黒っぽいものを愛好してそうという感覚はこの手のバンドのなかでも一番で、それを荒々しく出す様は、ストーンズのデビュー時もこんな感じなのかなと思わせてくれたりもする。やっぱり、応援したいバンドでした。
15日(火)
シック
シックに関しては、いくつかの思い出がある。
1970年代後期のコンセプチュアルなグループ伸長期にはあまり着目していなかった。ところで、彼らの音がアトランティック発だったのは、なかなか示唆的である。1970年前後はアリサ・フランクリンで、80年前後はシック……。ああ、NYのブラック・サウンドの変遷ナリ。そんな彼らにぼくがすごーく注目するようになったの83年~84年ごろ。彼らがデイヴィッド・ボウイ他のプロデューサーとして広く活躍するようになり、エムトゥーメイほかのNY発の濃密なビート表現とともに、彼らの特殊才能にワワワワワと引かれていったように記憶している。ナイル・ロジャーズ、バーナード・エドワーズ、トニー・トンプソンが一体となったグルーヴは本当にかっこよかった。
その約10年後には、ナイルとバーナードの二人になったシックにインタヴューする機会に恵まれ、彼らのあまりの誠意たっぷり善人ぶりに感激させられることになる。ぼくは取材したとき、一緒に写真を撮ったりサインをもらったりすることをほとんどしない(それ、微妙なプロ意識による。1999年8月1日の文章でゴールディと一緒に写真を撮ったときの顛末に触れているが、それはプライヴェイトでふらりと寄ったところでそういう機会を得たからですね)人だが、あのときは彼らに勧められて記念撮影している。さ、僕のギターを弾いてごらんよ、ナイルはぼくにテレキャスを差し出した。そのギターを手にし椅子に座ったぼくを、ナイルとバーナードが挟んだ写真はぼくがミュージシャンと撮った写真のなかで一番大きなサイズのものだ(それ、誰が焼いてくれたんだろ?)。
そして、その少し後にはJTによるバブルな援助を得て、彼らは日本武道館で大風呂敷な特別公演を行う。スティーヴ・ウィンウッド、ガンズのスラッシュ、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボンなどをゲストに招いてのもの。きらびやかなショウだったが、バーナードは体調がすぐれないということだった。確かに、ナイルが全面的に出てステージを進めていた。そして、そのショウの終了後、ヴェルファーレのV.I.P.ルームでパーティが行われたのだが、そこには“いい人”のバーナードもやってきた。彼はぐったりとソファに座っていて、ぼくは話かけるのをためらわれた。そしたら、彼は翌日に亡くなってしまう。横浜でのステージ上で倒れて帰らぬ人となってしまったジョニー・ギター・ワトソンとともに、日本洋楽外タレ悲劇の最たるものですね。
写真と言えば、そのときのパーティにはもう一つ思い出がある。そこにはウインウッドも来ていた。さすが黄金の声の持ち主である彼にはミーハーなファンになっちゃって、知り合いのカメラマンがいたので、一緒に写真を撮りたくなった。取材の席でなかったし。当人にその許可をもらおうとすると、「写真だけは遠慮してくれ。いや、話は大歓迎なんだよ。なんでも聞いてくれ」。で、彼はぼくのなんちゃって英語に親身に耳を傾ける。やっぱり、いい人でいろいろ相手してくれたんだけど、なぜか写真だけは拒否したっけなあ。話が飛んじゃったけど、ウインウッドは今年のフジ・ロックにやってくるか……。
そして、ナイル・ロジャース一人が率いるシックとなって、彼らはやってきた(直前には、もてぎのサーキットで開かれたインディのカー・レースでもパフォーマンスしたらしい)。ナイルの頭にかつて東京で起こった悲劇が脳裏をかすめないわけはないだろうが、笑顔笑顔でパフォーマンスをすすめる。南青山・ブルーノート東京。ソウライヴは若い客が多かったが、こちらは年齢層は若くない。普段は見ないような、かつてはディスコに通っていたのかなという感じの女性が目についたりもする。
「お洒落フリーク」で始まり「グッド・タイムス」でクローズする、総勢10人によるステージ。やっぱ名曲ぞろいだし、ドラムのオマー・ハキム他、揃えたミュージシャンの質は相当に高い(JTのときと数人は重なっている模様)。特にサックスのビル・ホロマンの2回ほど取ったソロにはびっくり。もう、完璧。サンボーンのソロをテナーに置き換え、もう少しジャズっぽくしたような演奏を聞かせる。そして、何より嬉しかったのは、フロントに立つ女性陣がとってもルックス良いおねーちゃんたちだったこと。うひゃうひゃ。そうじゃなきゃ! と、硬軟うまくバランスをとっての、実に楽しめるショウ。嬉しかった。
14日(月)
シガー・ロス
有楽町・東京フォーラムのホールC。渋谷公会堂ぐらいの広さかな。で、パフォーマンス中、唸らされたのは音がいいこと。本当にいい。ぼくが東京で見た公演のベスト3に入るはず。クラシック向き会場でやる必然性を感じたな。
バンド4人にプラスして、弦楽四重奏の奏者を後ろに配置。確か全員女性、彼女たちは大体の曲で弾いていた。そして、中央に立つ歌とギターの担当者は、ほとんどボウ(弓)でギターを弾く。
緊張と弛緩の間を行ったり来たりするようなサウンドと歌が、一体化して流れていく。ヴォーカルは全編ファルセットなのだが、もう音程が確かで、相当なもん。イエスのジョン・アンダーソンと並ぶ、ロック界ファルセットの喉自慢ですね。きっちり、危ういメロディ感覚、情緒が伝わる。他のメンバーも演奏技量はな~かなか。イマジネイションとテクニックが相当高いところで均衡している、……おそるべしアイスランド。照明、画像も良き含みあり。
見ている途中で、これは秀でた美意識に貫かれたプログレッシヴ・ロックの進化形、今の意義ある形なのだなと思わずにはいられず。それとともに、曲によっては賛美歌とういか、ボーイ・ソプラノによる宗教歌のロック的ヴァージョン・アップ表現と思えたりもする。もう、静謐、崇高のカタマリ。でありつつ、ドラマーは曲によっては力いっぱい叩き優れたビートを供給していて、それはロック・バンドとして俺たちは踏みとどまるのだという意思表示のようにも思えた。
何からなにまで高レヴェル。彼らって、こんな我が道を行く壮絶なライヴをやるのか……。素晴らしい素晴らしい素晴らしい。いやあ、終わったあと(座って見ていたショウなのに)、嬉しい徒労感をしっかり覚えたな。2階席の横のほうにずらりと外国人軍団が座っていたが、それは来日していたキング・クリムゾンの面々だったそう。
12日(土)
ストリング・チーズ・インシデント
昨年のフジ・ロックのフィールド・オブ・ヘヴンの“顔”となったコロラド州ベースの5人組、渋谷・アックス。翌日もここでやるようだが、会場は物凄い込み具合。アメリカ人客も多い。そして、反応や歓声も破格なものがあった。ジャム・バンド・ミュージックを愛好するシーンがちゃんとあるんだな、と実感できた。で、おおらかにシェアする精神の表れか(いや、関係ないか?)、普段は係員にチケットを見せないと上がれない2階席もフリー・パス。とかなんとか、総体として、なかなか興味深い感興を味わえるコンサートだった。
1時間ちょいのセットを二つ。ブルーグラスをやろうと、ジャズっぽいのをやろうと、カリビアンぽいことをやろうと、なにをやっても大受け。なんの批評もありゃしないとふと思ったが、それは普通の聞き手には関係のないことだよな、とも思う。それを書き記す職にいる者は留意しなければならないが。ともあれ、なんとなくフィッシュ(2000年6月11日)よりか今回の彼らのパフォーマンスのほうがしっくり感じる部分もあった。かつてアメリカで彼らを見たときは、脳天気なフェラ・クティのコピーみたいなのやられて、白けちゃったはずなのに。今回はより生理としてのまっとうさのようなものも感じた。
しかし、ブルーグラスを起点として始め、よくぞここまで音楽性を広げて来たな。ほんと、相当に不思議と思えるぐらいに。また、バンジョーとフィドルという一番アメリカ的な襞を持つ楽器は韓国人(5歳までソウルで育ち、その後、ヒュンダイに勤めていた父親の関係で世界じゅうを回ったそうな)が担当していたり、その音もエフェクターを通し電気ギター的な音になっていたりとか、なにかと定石は外しぎみ。それもある種、ジャム・バンド的用件とも言えるのか。あ、取材時に彼らもまたあんましジャム・バンドという言葉は使いたくないと言ってましたが。
こんな時期ゆえ、やはり彼らには戦争のことを聞きたくなる。すると、ブッシュはちゃんと選挙で勝った大統領じゃないのに、みたいな言い方も彼はした。この前の(3月25日)、DJシャドウの公演での彼の口上も同様のことを言っていたと記憶する。リベラル派のアメリカ人はそう感じている人が多いのか。でも、民主党はあの怪しい結果をどーしてそのまま認めてしまったんだろ。そういえば、ブッシュに破れたゴアはグレイトフル・デッド好きで有名だったっけ?
11日(金)
ルナサ
本当ならモーション・ブルー・ヨコハマでやるロベン・フォードに行くつもりだった。久しぶりに見たかった。ルナサは前回の来日公演を見て(2001年10月19日)、あまりいい印象を持っていなかったし。でも、ストリング・チーズ・インシデントの夕方からの取材が2時間後に変更になって、急遽取材場所と同じ地区でやるこっちの公演に来る。ちぇ、車に乗っけてもらえる手筈になっていたのに。
東急系のホテルから、西武系のハコへ。渋谷・クラブクアトロ。満員。前回と異なり、音の小ささは感じず。いや、そういうのとは別に、印象も少し違う。ずっと、伸び伸びとしているように感じた。やっぱり、いい人光線はたっぷり。2部構成、終わったのは10時近く。
8日(火)
インターナショナル・パンク・サミット
この日はザ・ルーツ公演もあったが、昨年暮(12月29日)に見ているので、中国のパンク・バンドが二つ出る(両方とも、これより前にも来日公演をやっている模様)イヴェントに行く。というのも、昨年末だったかな、中国の北京で録られた同地のパンク・バンドによるオムニバス・ライヴ盤(『ウーリャオ・コンティンジェント・ライヴ・アッツ・スクリームクラブ・イン・1998・クリスマス』:People's )を聞いて、そこに流れていた、リアルな空気感に驚かされたりしたから。なんか、ロンドンの25年前もさもありなんという、思いを得たんだよなあ。音楽的にはそりゃあまり見るべきものはないが、そこにある切実さに生でも触れてみたいと思った。
新宿・ロフト。会場に入ると、ハング・オン・ザ・ボックスという中国の女の子バンド(ベースだけが男性。サポートなのかな?)がやっている。ポップ・パンク調。まあ、他愛ない。でも、まいっか、って気になれる。なんか、かつての少年ナイフの米国での受け方が理解できた?
続いて、埼玉から来たという、日本人のパンク・バンド。おお、うまい。見せ方もきっちりと会得している。だが、ドキドキできない。なんで、こうも人生応援歌的な太平楽路線をのうのうと進めちゃうのか。歌詞がそんなに聞き取れるわけではないが、もう送りだされるヴァイブがもろにそうなわけ。体制への迎合とは言わないが、なんら現況に対して弓をひこうという感覚がないのはちょっとなー。もう、あまりに健全。今の売れ線パンク系表現はかつての四畳半フォークのようなもの、という認識を新たにする。でも、そんな彼らがブレイクしても驚かない。
次は、北京の男性4人組のブレイン・フェイラー。ハング・オン・ザ・ボックスのときに、観光パンクみたいな派手な髪形した人が客にいるなあと思ったら、それはここのメンバーだった。彼らは先の女の子バンドよりはうまい。ときには後打ち曲もやる。でも、そうじて、危なくはなかった。
そういえば、これに来る前に知人に電話で、中国のパンク・バンド見に行くんだと言ったら、SARS大丈夫なのと返されたが(だが、今後はそれで来日中止になる外タレは出てきそうか)、彼らは3月のサウス・バイ・サウス・ウェストに出演し、ずっと米国ツアーをやったのちに日本に来たようだ。それなりに英語MCもこなすみたい。
7日(月)
田村夏樹カルテット
たびたび藤井郷子(このコーナーで出てくる回数が一番多い?)のライヴでは見ていて、そのつど一緒にやっている旦那の田村夏樹の演奏にも触れているが、そのリーダー・グループとしては初めて見ることになるか。この初春に出た、『Hada Hada 』(Libra)のリリースを受けてのライヴだ。トランペット(電化あり)、シンセサイザー、ギター、ドラムという編成。ドラムのみ、レコーディング参加者ではなくヴェテランの古澤良治郎。本当はもっと立ってて起爆力のある若いドラマーのほうが合うような気もするが、でも彼は彼で味がある。そして、そんな彼を重用するのに触れると、田村は先鋭的な感覚だけでなく、一方でちゃんと血の通った情のようなものも求めているのダというが判る、かな。新宿・ピットイン。
その新作は、かなりロックっぽいぞと感じさせるものになってたのだが、実演はそれほどそうは思わず。簡単に記してしまえば、なかなか具体性を持つ音像やビートを持つフリー・ジャズという感じのパフォーマンスか。あとレコードでは藤井によるシンセサイザーの音があまりに安っぽすぎてありゃあとならずにはいられなかったのだが、実演ではそれはあまり気にならず(この日も全編シンセで通した)。開かれた場の精気は難を隠す?
ギタリストの加藤崇之には感心する。それほど凝らないエフェクターを駆使し、音楽的な部分を抑えたうえできっちりとアヴァンギャルド。そんなギターが存在するゆえ、例えばソニック・ユースのファンが見ても0,5 割のファンはこのカルテットの演奏に感激するはず。ほんとは3割と言いたいところだが、最近のソニック・ユースに懐疑的なところをぼくは持っていたりするので、控え目に書いておこう。
第二部は延々、1曲。ただ、決めとかはばっちり決まる部分もあって、それなりにリハもやったのか。ともあれ、こんなのNYのトニックにふらりと寄って偶然見たら、ああ彼の地では、もう一つの、こんなリアルなジャズが生きつづけていると感激しまくっちゃうだろーなー。なんてことも思った。
5日(土)
村田陽一チェンバー・アンサンブル
売れっ子トロンボーン奏者/編曲者の村田陽一が新宿ピットインでやる4デイズの最終日。トロンボーン、打楽器、ベースの3人による初日から、9人編成のこの晩まで、すべて別の編成にての帯公演。そして、数曲は曲目を各日とも重ならせていたそうだ。
アルト・サックス奏者を除く管楽器4人はクラシックの奏者。核には、ギル・エヴァンスがいたか。まあ、これまでいろいろと仕事で書いてきたものが生かされているのだろうが、よくも“書く”よなあ。そのスコアの量は膨大なものとなるはず。村田はポップ側のアレンジも相当やっているはずだが、それらをきっちり自分の楽しみの活動に還元しているんだなと思わされた。ソロはトロンボーンとピアノとアルトが大体取る。もっともっとソロとアンサンブルのスリリングな絡みを求めたくもなったが、それには周到なリハーサルとかも必要となるだろうし、一回限りのギグじゃ難しいだろう。でも、こういうものを我慢強く続けていれば、そういうものに育っていくかもしれない。
演目は、マイルス、モンク、ミンガス、デューク・エリントンなど、巨匠たちの曲。2部ではオリジナルもする。それを、1曲ごとに村田は丁寧に説明する。また、それはメンバー紹介も同じ(愛のある紹介の仕方、してましたね)。それを聞いていて、これは村田自身による、“ジャズ観”の問い掛け~再確認をしているんじゃないかと思わせられるところもあった。さらに途中から、これはぼくが思っていた以上に気合が入りまくっている、重い公演だなと思わされたりも。自分の音楽を求めようとする、強い意思を感じちゃったな。
4日(金)
bug
西麻布・bullet's。オノジマさんの、UKニュー・ウェイヴ本の発刊記念を兼ねてのスペシャル版。DJやっちゃった、ははは。酔っぱらう前に、人が少ない時間に、と登場時間をリクエストしていて良かった。繋ぎは酷でぇー。最後のほうでかけたPILの12インチは裏と表を間違える。ふむ、かつてのバンド人間(少しだけど)には……乱暴にレコードをかけるぐらいで、場の中心にいていいのかという思いはあったか(とともに、真にプロなDJはやっぱ凄いよな)。でも、やっぱし、面白かったあ。それと、ずっと家で死んでいたレコードが開かれた場で生かされたのはとっても嬉しかった。
1日(火)
ベック
サマソニとかでやってきているが(2001年8月18日)、日本武道館公演は2000年の5月29日いらい。うむ、少し動員落ちているな。
冒頭、生ギターの弾き語り。おお、ストロング。声もでかい。かつてのひ弱な印象が嘘みたい。フレイミング・リップスの曲も披露した。3曲目はマリアンヌ・フェイスフルが新作でベックこみで取り上げていた曲でもあった。
なんか、その生一本ベックを聞きながら、30年も前に武道館でギター弾き語りをやったというドノヴァンの事実を思い出したりも。当然のことながら、それを見てはいないけど。ともあれ、ベックは裸でも勝負できる、きっちりとした歌い手であり、パフォーマーなんだと思わせることしきり。
4曲目からはバンド(ギター、キーボード、ベース、ドラム)が加わり、撥ねモノ中心となる。そうなると、ベックはパフォーマーとしては“白いプリンス”を標榜していることがよく判る。そして、バンドの音を取れば、ベックのほうがずっと新しい感覚の持ち主であることも。パフォーマーとしてはプリンスのほうが数段上であるのは間違いないが。なんにせよ、その破綻や狼藉や過剰を巧みに折り込んだバンド・サウンドはやはり良い。そのブロックのあと、バンドで引き続きやるものの、再び跳ねないビートを用いた、冒頭の弾き語りを伸ばしたようなブロックに続く。昨年出た新作は歌を聞かせようとするアルバムだったが、それを引き継ぐもの。確か、そのパートは全部、新作からのものだったはず。
といったような感じで、ブロックごとに違う傾向にある曲を纏めてやっていたとも言えるのか(でも、今回、ボサっぽい曲はやらず)。そんなこともあってか、全体としてはおさまり悪い印象もあったかな。それは、彼が過度期にあると思わせることにもつながっていたかもしれない。でも、それはいつもかな……であるからこそのベックでもある?
アンコールは全員が白い繋ぎに着替えて登場し、「ディヴルズ・ヘアカット」を1曲演奏する。2時間に満たない、演奏時間。前は2時間を超えていたような気がしたが。あと、舞台美術が簡素になった。なんか、否定的ニュアンスが漂う文章になったかかもしれないが、ぼくは楽しみ、ふむふむは頷いた。彼が現代ロック界で大切な人であるのは間違いない。
by eisukesato
| 2003-04-01 00:00
| 音楽
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